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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第3節 湖面の細波 [1]




 ゆっくりした足取りでブラリと教室に向かう瑠駆真(るくま)は、その長身に足を止めた。
「よぉ」
 月曜日の朝からなんとも不機嫌そうな声。とても好意的とは思えない。その、低くぶっきらぼうな(さとし)の挨拶に、瑠駆真は視線だけで応じた。
 相手の反応など大方予想していたのだろうか。聡は咎めもせず、代わりに携帯を取り出す。
「無視かよ」
 前言撤回。聡は間違いなく瑠駆真を咎めている。
 周囲の女子生徒たちにはさっぱりわからない。だが、瑠駆真にはその一言の意味が理解できている。
 昨日の夜遅く、メールがあった。
 話がある。明日の朝、顔貸せ。
 話? 僕に?
 土曜日の午後、美鶴(みつる)に逃げられ、その後もしばらくは部屋で待っていた。そのうち帰ってくるかもしれないと、わずかな期待を胸に待った。だが、美鶴が戻ってくることはなかった。
 虚しく夜が更けていく。このままここに居れば、美鶴ではなく母の詩織(しおり)と鉢合わせる可能性もある。いくら常識外れな詩織でも、自宅に娘の同級生が一人で居座っていれば、さすがに訝しがるだろう。部屋は瑠駆真の父親名義だが、だからといって一人で居る理由にはならない。それに、詩織と関わると必要以上に事が大袈裟になるような気がして、瑠駆真は仕方なく美鶴の部屋を去った。
 日曜日は一日部屋で過ごした。天気も回復し、明るい日差しが降り注ぐ秋の休日を、一人冷たいマンションの一室に篭った。
 ベッドに横になり、もそりと起き上がって適当に腹を満たしては、再び身を横にする。寝ているのか覚めているのか、よくわからない朧げな世界。その中で、ただ美鶴だけが気になった。
 携帯に二度メールした。
 逢いたい
 返事はなかった。
 無視されているのかと思いながら、いや、何か事情があって返事ができないだけだと言い聞かせた。だが、三度目はできなかった。もしそれでも返事が来なかったら、今度こそ無視されていると認めなくてはいけないような気がして、怖くてできなかった。
 メールを無視されるのは今までにもあったのに、なぜだか怖いと思う。
 部屋に戻っているかもしれない。
 だが、逢いに行くことはできなかった。
 逢いたいのに、逢いに行くことができない。
 怖いのか?
 違う。行っても会えないような気がするだけだ。
 カーテンを閉め切った部屋で日曜の午後を陰鬱に過ごす。
 美鶴、なぜ僕を避ける?
 彼女の行動が理解できない。
 僕は、美鶴にとってこの上ない提案をしたはずだ。唐渓(からたに)を辞め、一緒にラテフィルへ行く。
 誰も自分たちを卑下する者はおらず、何もかもが思い通りになる世界。そんな場所で、何かに悩まされる事もなく、何かと対立する事もなく、ただ幸せに暮らす。そんな世界のどこが不満だと言うのだ。
 瑠駆真にはわからない。さっぱり理解できない。
 だが美鶴は、瑠駆真の申し出を拒んできた。
 耳に蘇るのは、聞きたい声と、聞きたくない言葉。

「逃げるのか?」

「逃げるのか?」
「え?」
 瑠駆真のつぶやきに、隣の女子生徒が聞き返す。慌てて右手を口に添え、なんでもないと左手を振る。そんな瑠駆真に聡が眉を寄せる。
「聞いているのか?」
「聞いてるさ」
 聞いてはいなかったが、どうせ内容など想像できる。適当に答え、ため息をつく。
「話があると、メールしておいたはずだ」
「知っている」
「知っていて、ずいぶんとのんびりな登校だな」
 喧嘩売ってんのか? と言いたげな視線に、瑠駆真が瞳を細くする。
「確か、同じような会話を土曜日にもしたよな?」
 あの時は、瑠駆真が聡へメールした。
「お互いサマってワケか」
「そんなトコロかな」
 不敵に向かい合う二人を取り巻く周囲の視線。二人が注目を集めるのは日常茶飯事だが、今日は少しばかり様子が違う。
「あっ 山脇(やまわき)くんよ」
 いつもより、瑠駆真へ視線を向ける者が多いようだ。だがそれは、なにも瑠駆真の人気が聡よりも上がったというわけではない。
「土曜日に、廿楽(つづら)先輩にひどい事をなさったって聞きましたわ」
「あ、それ、私も聞きました」







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